子どもが「痛い」と訴えたとき、私たちはその言葉をどのように受け取っているでしょうか。
大人と同じように数値で評価しようとして戸惑ったり、「本当に痛いのかな」と迷った経験がある人も少なくないと思います。
子どもの痛みの評価は、単に痛みがあるかどうかを判断する作業ではありません。この記事では、子どもの「痛い」をどう捉え、どう評価していくかを整理します。
子どもにとっての「痛い」とは何か
子どもの「痛い」という言葉には、さまざまな意味が含まれています。
- 頭が痛い、お腹が痛い
- しんどい、身体がだるい
- いやだ、こわい、やめて
この中には、医学的に痛みがある場合もあれば、明確な身体的損傷がない状況での「痛い」も含まれます。
子どもにとっての「痛い」は、身体的な苦痛だけでなく、不安や恐怖、嫌悪感などの情緒的なつらさを表していることもあります。
そのため、「医学的に痛みがない=痛くない」と単純に整理することはできません。
医学的に痛みがある場合の評価
医学的に痛みがあると考えられる場合は、身体的苦痛として評価します。
基本となるのは、年齢や発達段階に応じた疼痛評価ツールの使用です。
- 表情を用いた評価スケール
- 数字を用いた評価スケール
どのツールを使うかは、「使いやすさ」ではなく、その子が理解し、表現できるかを基準に選びます。
評価ツールは、痛みを正確に当てるためのものではなく、痛みの変化を共有するためのツールであることを意識することが大切です。
評価ツールを使うときの前提
疼痛評価ツールを使う際には、いくつか大切な前提があります。
- 「一番痛い」は、想像する中での最悪の痛みとして説明する
- 数字か表情か、使う基準をはっきりさせる
- あらかじめ目標とする範囲を決めておく
また、鎮痛薬を使用したあとは、必ず評価を行います。
評価は医療者が効果を確認するためだけでなく、子どもや家族にとって「痛みへの対抗手段がある」という安心につながるという意味も持ちます。
「自制内」という言葉に注意する
子どもが「我慢できる」「これくらいなら大丈夫」と話す場面もあります。
しかし、「自制内」という言葉は、我慢できる程度を意味するだけであり、「問題がない」という意味ではありません。
聞かずにいることで、子どもが「ほっとかれている」と感じてしまうこともあります。
痛みの評価では、我慢できているかどうかではなく、痛みで困っていることがないかを丁寧に確認する姿勢が重要です。
子どもの訴えを信じるということ
子どもの痛みは、過小評価されやすい傾向があります。
- 「一瞬だけだから」
- 「もう終わったから大丈夫」
- 「検査のためには仕方ない」
こうした言葉は、無意識のうちに使われがちです。
子どもの痛みの評価では、まず訴えを信じることが大前提になります。
少なくとも、痛みを伴う可能性があるケアについては、事前に伝え、心の準備ができるようにすることが大切です。
医学的に痛みがないときの「痛い」
医学的に明確な痛みがない場合でも、子どもの「痛い」は嘘ではありません。
この場合の「痛い」は、心の痛み、つまり精神的・情緒的な苦痛であることがあります。
心の痛みは、すぐに取り除くことが難しいものです。
評価として大切なのは、無理に解決しようとすることではなく、子どもにとって安心できる存在であり続けることです。
短い時間でも繰り返し関わることが、子どもにとっての安心につながることがあります。
まとめ|子どもの痛みを評価するということ
子どもの痛みの評価は、正解を当てる作業ではありません。
言葉、表情、態度、関係性など、さまざまな情報をもとに、その子に今、何が起きているのかを考えることが評価になります。
痛みの評価は、次の「どう支えるか(マネジメント)」につながる大切な土台です。まずは、子どもの「痛い」を丁寧に受け取るところから始めましょう。
評価を踏まえた「どう支えるか」については、痛みのマネジメントの記事で整理しています。
おわり。

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