今から27年前の1月17日。
みなさんは何の日か覚えているだろうか。
この日の午前5時46分。
世界は大きく変わった。
阪神淡路大震災。
当時5歳の自分にとってこの経験は非常に貴重なものとなった。
今でもこの時の経験は自分の生き方や考え方の核として存在している。
自分が人の命と向き合う医療者を志したのも今思うとこの経験があったからかもしれない。
震災に関する経験や感じたことをつらつらと書くつもり。
苦手な方はこれ以上読み進めないようにしてもらえればと思う。
震災の発生当時。
早朝ということもあって自分はめちゃくちゃ寝てた。
1度目の揺れでは目覚めることなく母親にたたき起こされたのを覚えている。
起きてすぐ目に飛び込んだのは傾いたタンス。
部屋のサイズ的に倒れた先の壁に支えられていたので無事だったけどタンスがそのまま倒れていたら寝てる自分はきっと圧迫されて危うい状況になってたと思う。
眠い目をこすりながらもヤバい状況であることをぼんやりと理解しながら照明や窓ガラスが粉々になり散らばった部屋がうっすら見えるようになってきた。
やっと状況がわかり始めた頃に父親が玄関から靴を持ってきた。
靴を履かされて2階の寝室から外へ逃げる。
その頃に大きな余震が続いた記憶はあまりない。
それ以上の衝撃が強く頭に残っているから。
当時の家はちょっと小高い山の上に建っていた。
神戸の街を一望なんていうおしゃれな状況ではないが家から少し離れると中心街の様子が見えた。
早朝の薄暗がりの中で橙色に煌めく街並みと立ち昇る煙はなんとも幻想的でキレイだと思ったのをよく覚えている。
そのうっとりするような感情から現実に引き戻されたのは父親の足を見た瞬間だった。
足が血だらけになっている。
理由は震災直後にぐちゃぐちゃになった家の中を素足で玄関まで駆け下り靴を取りに行ってくれたから。
家から脱出した時は靴を履く理由なんて全くわかってなかったけどこの辺りからあらためて事の重大さを認識し始める。
当時5歳だし燃え盛る街並みを美しいと思ったのも家が半壊している様子に現実感を見出せないのも無理はなかったと思う。
まだ携帯電話なんかも十分に普及してない時代。
両親が慌てていろいろしていたように思うが正直その辺はよく覚えていない。
潰れた家からスーファミをなんとか持ち出そうとして怒られたことはよく覚えている。
それからどのぐらいの時間が経ったのかはわからない。
次の記憶は車の中。
車中から見える景色は見慣れた街並みとは程遠い。
さすがに火事はおさまっていたが焦げ臭いにおいと少し残る煙。
「世界が壊れた」
ゲーム脳の自分としてはその表現が一番しっくりきた。
そして人。
街に座り込む人、うずくまる人、転がる人。
生きているのか死んでいるのかもわからない。
「人ってこんな簡単に死ぬのか」
怖いとか不安とかいった負の感情より何より先に興味関心的な意味で“人の脆さ”が頭を支配した。
昨日まで当たり前のように通っていた道で当たり前のように過ごしていた人々がこんなにも簡単に崩れていく。
“世界は壊れひとは死ぬ”
この世界の理に触れた気がした。
その瞬間に景色から鮮やかな色味が失われていく。
目に映る景色がグレーになった。
どれだけまじめに生きてようと
遊んで騙して不真面目に生きていようと
同じく死は訪れる。
それを理不尽だと思うだろうか。
おれは思わない。
世界なんてのは元々そうできている。
人間が都合よく解釈しようとしているだけで元から世界は人間に優しいわけじゃない。
偶然と運命ってのは紙一重だと思うしどちらの言葉も意味なんてない。
「ひとは死ぬ」
この事実だけを淡々と受け入れて理解した5歳の冬。
だからこそ
“今生きていることを大切に”と思うようになった。
病気であろうがなかろうが人は死ぬ。
それは“いつか死ぬ”なんて遠い未来の話じゃない。
もしかしたら明日、今晩、数秒先に死ぬかもしれない。
誰もがみななぜか自分の命はまだ守られていると思い込んでいる。
日本は平和だからなのかそういう考えの人が多い。
別にそれが悪いというつもりはない。
でも例えば高齢になる中で、病気を患うことで、否が応でも自分の命と向き合わなければならない時はやってくる。
自分は5歳という幼いうちから人の命の儚さに触れることができた。
「ひとは死ぬ」と理解できた。
死を理解したことで自分の生き方が定まった。
ただ同じ経験をしてももちろん同じ考えを持つわけじゃない。
命に対する捉え方が他の人とずれることは常だったし無理に理解してもらおうとも思っていない。
なかなか共感を得られる機会は少ないけれど自分にとってこれはしあわせなことだったのではないかと思うようにしている。
今死んでもいいような悔いのない人生を歩む。
そういう生き方はなかなかできるもんじゃないから。
もちろん100%悔いが残らないなんて無理だけど。
それでもその意識が核としてある以上はいつ死んでも悔いはない。
そういう生き方ができている自分に少し感謝したい。
なんともまとまりのない最後になったけどあらためて一言。
この理不尽な世界で人はいつ死んでもおかしくない。
なので“今生きていることを大切にしてほしい”という話でした。
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