緩和ケアの勉強をしていると必ず終末期のコミュニケーションの課題にぶち当たる。
終末期のコミュニケーション。
参考書では事例をもとにしてとても美しくまとめられていることが多い。
「あっ!これ参考書で見た事例と同じだ!」
なんて進研ゼミ状態になることも少なくはないのでそういう“美しくまとめられた事例”というは確かに役に立つ。
だが、肝心なのはその場に沿ったコミュニケーション技術を知識として持っていても、実践できるかどうかというのは全く別の問題ということである。
「この場面ではオウム返しが有効かな。」
「ここでは少し沈黙を。」
なんて逐一頭で考えながらコミュニケーションをとっている医療者は少ないかもしれないけど、知識の蓄えがある人は自然とコミュニケーション技術を使っている人が多い。
最近、自分自身が患者の家族側として、とても心温まる言葉をもらったので記録に残そうとこれを書いている。
自分の祖母が寝たきり状態になり、いよいよ最期になりそうだという説明を主治医から受けた。
自分も緩和ケア認定看護師という立場なのでその時の雰囲気はよく知っているものだった。
主治医がひとつひとつ丁寧に言葉を選びながら家族に病状を伝える。
こちらのサインを見逃すまいと。
自分の言葉がこちらに届いているのかと。
ひとつひとつを確認しながら。
自分も医療者なので主治医の気持ちは手に取るように伝わってくる。
とても真摯に誠実に。
いい先生だと思った。
一通りICを終えて部屋から出た後、自分と母親の気持ちはふっと緩む。
そのタイミングを待っていたのだろうか。
少し離れたところからさきほどの主治医が近づいてきてこう言った。
「最期の少しの期間は身体や心の不調で乱暴になったり変わってしまったと感じてしまう人はいる。でもそれまでの何年何十年が変わってしまう訳ではない。今まで見たきた患者さんの姿を大事にしてほしい。」
この言葉をきちんと声に出して相手に伝えられる人は本当に素敵な医療者だと思う。
人によってはなかなかうまく言語化できないことも多いだろう。
くわえてタイミングも素晴らしいなと。
医療者としては、そういう話はICの行われていた流れで個室でする方がいいと思うかもしれない。
もちろんそれもひとつの正解だと思う。
ただ、今回の場合は突然の祖母の状況変化に頭がついていかない母親がいた。
これからのことを説明されて緊張感のある個室で同じ言葉を言われても、おそらく母親には届きにくかったであろう。
いったんICを終えて、心のゆるみを確認してから言葉をかける。
こういった緩急のあるコミュニケーションは熟練者でもそうできるものじゃない。
主治医の話を冷静に、客観的に聴いていたつもりの自分にもこの言葉はすーっと入ってきた。
心がぽかぽかした。
非医療者の母親からするとそのありがたさは何倍にも感じたであろう。
安心して祖母の最期を任せられるとあらためて思った。
終末期のコミュニケーションっていうのは本当に個別性だらけで難しい場面が多い。
参考書に出てくるような美しい事例では太刀打ちできないことだってある。
それでもコミュニケーションを学び続けるのはこういう瞬間のためなんだろうなと思う。
自分もいつか、誰かの心に寄り添う安心できるような言葉を伝えられる日がきたらいいなと願いながら。
これからも研鑽を続けようと思う。
おわり。
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