生きるための安楽死

少し前にTwitterで安楽死関連のつぶやきが多かった理由。

それはこいつを読んでいたから。

日本での安楽死は認められていない。

そしてオランダ含めたいくつかの国では認められている。

そういった事実は知っていたが、“なぜ”そういった違いがあるのか詳しく知らなかった。

もう少し厳密に言うと知ろうとしていなかったのかもしれない。

どうせ日本にいる限り安楽死が法制化されることもなければ関わることはないだろうと心の奥で思っていたのかも。

そういえば安楽死についてあんまり知らねぇなとふと思い立ちこの本を手に取った。

今回この本を手に取った大きな理由は“著者がオランダ人だった”から。

安楽死について書かれた本はそれなりにあるけど、歴史や時代変遷が知りたいというよりはその国で暮らす人々が安楽死についてどのように考え、どのように捉え、どのように受け入れているのかということが気になっていた。

そういった意味でオランダに住み、この制度を肌で感じている人が書いた本というのは興味があった。

そして実際に選んで正解だった。

歴史や制度といった大きな枠組みというよりももっと個人レベルの話でまとめられており、より自分事として感じやすい内容となっていた。

特に驚いたのはかなり前半部分の内容だが、「安楽死が認められたからといってすぐに実行する必要はない」ということ。

恥ずかしながら本当に安楽死というものを表面上しか知らなかったので「認められたらすぐに死ぬ」というものだと思い込んでいた。

しかし、安楽死が認められたことで“いつでも死ぬ選択ができる”ことが心の安寧につながり、社会的に活躍したり平穏な日々を送った人々の様子が書かれていた。

安楽死が認められてから“11年後に実行した”という話を聞いてみなさんはどう思うだろう。

今まで抱いていた安楽死のイメージと大きく異なるのではなかろうか。

自分も「安楽死」という言葉だけに振り回されていたかもしれない。

安楽死を検討する一連の流れはまさに現代のACPと変わらない。

日本では、どれだけ苦しくても「死」という選択だけは絶対にできないが、安楽死が認められている国では「死」すらも苦痛緩和の選択肢になっているというだけのこと。

しかも「死ぬことで生きるつらさから解放される」というよりは「いつでも死を選べるという安心感が心の安寧をもたらす」という意味が大きいよう。

いつ訪れるかわからない死の瞬間までどうにかこうにか耐え忍ぶよりも、自分で死の瞬間を選べるという安心感。

死ぬ瞬間を選べるということは、死ぬ時間や場所、誰に見送ってもらうか、最期に行う行動、最期の言葉など自分で決めることができる。

そう思うとそういった死に方はある意味で理想なのかもしれない。

だからと言って「安楽死を日本でも導入しよう」という直球な意見にはならないが、それでも安楽死のもつ可能性をかなり感じた。

よかったらみんなも読んでみてほしい。

安楽死どころか死そのものに対する拒否反応が強い日本。

まずは死をもっと身近なもの、自分事として捉えることができ、それを遠慮なく周囲の人たちと話せるようになればいいなと思う。

そのためには子どもの頃から少しずつでも「生きる」だけではなく「死ぬ」ことも含めた教育が必要だと考えている。

いつかそういう活動ができればいいなと思いながら。

おわり。

コメント

タイトルとURLをコピーしました