死の体験旅行

「さぁみなさん一度死んでみましょうか」

緩和ケア認定教育課程における講義の中で唐突に講師に言われた一言。

教壇に立つ講師にこんな風に言われると「なんかの漫画でありそうな展開だな」ってちょっとワクワクしたのを思い出す。

この言葉から始まったのは「グリーフ」の講義。

人の死に関する“グリーフケア”についての勉強を進めていく中で、“死の過程をより自分事として捉える”ことを目的に行われた講義。

「さぁみなさん一度死んでみましょうか」

その言葉の後に続いたのは

「死の体験旅行へ行きましょう」

というものだった。

死の体験旅行とは?

はてなマークを浮かべる受講生を前に講師は説明をはじめる。

“死の体験旅行”。

それは簡単に言えば
自分が病気なって身体が少しずつ弱り、大切なものを失いながら死に至る過程を疑似体験するというもの。

講師の語りに自分の人生を重ねていくというもの。

この“死の体験旅行”侮ることなかれ。

真剣に取り組んでこそという前提はあるものの語りの中に入りこんだらかなり感情を揺さぶられる。

実際にこの“死の体験旅行”を終えたとき、たった一人を除いて全員が号泣していた。

そのたったひとりというのは自分なんだけどそこに関しては後述する。

“死の体験旅行”には出かける前に準備をする必要がある。

紙とペンを用紙し、縦4マス×横5マスの枠を描く。

各列に下記のようなタイトルをつける。

ここにそれぞれ自分が大切にしているものを記載していく。

大切な物
家、車、スマホなど形のあるもの

大切な身体の一部
目、耳など身体のパーツ

大切な感情
喜び、希望、穏やかさなど

大切な活動
趣味(ランニング、サッカーなど具体的に)、睡眠、仕事など

大切な人
家族などの大きなくくりはなし。個人名を記載。

合計20個の大切なものを記載したら準備は完了。

旅行に集中できるように静かなオルゴールが流れる部屋。

まずは頭をすっきりするために1分の沈黙からはじまる。

そしていよいよ“死の体験旅行”へ出発する。

正確ではないが記憶にある範囲で冒頭のみ再現してみる。

今からみなさんは“死の体験旅行”に出発します。

もし途中で気分が悪くなったりあまりにつらいと思ったら退室してかまいません。

この旅行に持っていけるのは限られた20個の大切なものだけです。

それらの大切なことをリュックに詰め込んで。

さぁ出発しましょう。

これはあなた自身の物語です。

あなたは看護師として順調にキャリアを積み、現在は緩和ケアを専門に現場で活躍しています。

環境にも恵まれ、気の合う仲間と切磋琢磨しながら日々を過ごしていました。

そんなある日のこと。

なんとなく体調がすぐれないと感じます。

働きすぎだろうか。

夏バテだろうか。

そんなことを思いながら深くは考えずにいつも通りの日々を過ごしていました。

しかし、数日たっても体調は改善しません。

それどころか体調は悪化する一方で食欲もなくなってきました。

いよいよ「何か病気では?」そんな思いが頭をよぎり病院へ行くことにしました。

病院で診察後、いくつかの検査を受けることになりました。

この日、あなたはあなたの中で何かが失われはじめたことに気がつきます。

先に書いてもらった20個の大切なものの中から、なくしてもいいと思えるものを1つ選んで「今までありがとう」と心からお礼を言って“2本の線”を引いて消してください。

といった感じで物語は進んでいく。

この後の展開としては「再検査となる」「不安が強くなる」「病状説明に呼ばれる」「がんを告知される」「休職する」「具合が悪くなる」「治療ができなくなる」「意識がもうろうとする」「最期の一息」と続く。

少しずつ大切な物を消していき、最後に1つだけ残る。

「なんか心理テストみたいやね」

こんなことをしたと同僚に伝えるとそう返答があった。

確かにそう見えなくもない。

でもこの“死の体験旅行”の本質は紙に書いた言葉を“2重線で消していく”というところにあると思う。

自分が書いた大切なもの。

それを実際に消すという行為が思っている以上にきつい。

あとで号泣するクラスメイトに聞いた話では
「大切な人のところに旦那と子どもたち3人を書いた。旦那は一番に消せたけど子どもたちを消すときに順番なんて決められない。でも決めなくてはいけない。子どもの優先順位を選んでいるようでとてもつらかった。」
ということだった。

大切な人を“個人でしか記載できない”という理由はここにある。

ほかのみんなも大切なものを失う過程で感じることがあったのだろう。

終わってみれば自分以外みんな号泣していた。

自分が号泣というか感情的にならなかった理由ははっきりしている。

もともと死というものは“この世の様々なしがらみから解放されること”だと思っているから。

なので大切なものを失っていく過程というのは自分にとってはどんどん身軽になれるポジティブな過程であった。

そんなわけでむしろ自分の中ではすごくすっきりした気分で“死の体験旅行”を終えたのだが顔をあげるとみんな大号泣していてびっくりしたというわけ。

この時にあらためて思った。

“死”の捉え方はほんとに人それぞれで死を“喪失体験”であると感じる人が9割以上だということを。

“死の体験旅行”では大切なものを自分で選べる。

でも現実では選べない。

“死の体験旅行”では失う順番を選べる。

でも現実では選べない。

この“死の体験旅行”は現実よりかなり優しい世界の話だと思う。

それでここまで感情が揺さぶられるのだから現実で直面する喪失体験というのはどれほどのものなのか。

ある日突然自分の大切なものが失われていく。

もちろん失うものを選ぶことなどできない。

死の過程を自分事として体験することのできる“死の体験旅行”。

調べると書籍が出ていたので興味のある人は読んでみてほしい。

覚え書きで書いた上述の物語よりももっと丁寧な描写を含めた物語となっている。

書籍の内容は学生への授業として語られているので大学生が主人公となっている。

また、大切な○○も講義とは少し違った。

その辺は講師が状況に合わせてアレンジしたんだろうなと思う。

書籍は“死の体験旅行”だけでなくその前後で死に関するあれこれも書いてあるのでおすすめ。

余談だけど

自分が最後に残った大切なものは“愛情”でした。

物語にのめりこんでたから何を残すとかあまり考えずにやってたけど終わってみたら残ってた。

“愛情”って自分からはわりと対極の感情だと思うんだけどだからこそ残ったのだろうか。

なんにせよ“愛情”が残ったのはちょっとはずかしかったでした。

おわり。

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