鎮静に関する
「緩和ケアのちょっとタメになる話」。
なかなか落ち着けない患者とか暴れている患者、不穏患者なんかがいたら「鎮静」って言うと思うけど鎮静って何かを言葉にして説明できる?
寝かせることだけを「鎮静」だと思ってない?
その辺を簡単に整理したものがこちら。
850a87dffcc498570ac5894e1061d327鎮静と一口にいってもいくつか種類がある。
場合によっては完全に眠らせずに“あえて”「うとうとする」ぐらいの状況を狙ったりもする。
鎮静をかける上で一番大切なのは“目的を共有する“こと。
基本的に寝かせることそのものが目的になることは少ないはず。
鎮静をかけることで“苦痛緩和を図る“というのが本来の目的。
これは終末期に限らず術後の鎮静なんかも含めて同じ目的になる。
鎮静をかける時って倫理的問題が絡むことも多いと思う。
特に終末期なんかの鎮静ならなおさら。
その理由の大部分は
「鎮静をかけてしまうと本人の意識レベルが低下して意思表出ができなくなるから」
ってところだと思う。
もちろんこれはその通り。
ただ多くの医療者は「鎮静=完全に寝かせる」ってイメージを持っているので鎮静をかけるとすぐさま意思疎通が途切れると思い込んでいる人もいる。
状況によっては「調節型鎮静」で徐々に意識レベルを低下させることで意思疎通ができる状態で少しずつ鎮静を深めていくこともできる。
ある一定時間(夜だけなど)鎮静する「間欠的鎮静」ってのもある。
夜だけの「間欠的鎮静」を行う時の注意点としては夜間に鎮静をかけていたからといって本人が熟睡できたと感じているかは別問題ということ。
医療者からすると「夜は鎮静かけてたからよく眠れていたにきまっている」と思いがちだけど必ずしもそうではないことは覚えていてほしい。
あとは「鎮静」というのはあくまで鎮静薬による苦痛緩和を目的とした意識レベルの低下のこと。
オピオイドや抗精神病薬などによる意識レベルの低下は本来の目的ではないため鎮静薬には含まれない。
状況によってはオピオイドの副作用である傾眠傾向を鎮静として捉えることもある(個人的にはその使い方はあまり好きではない。鎮静目的なら鎮静薬を使うべきだと思っている。)が本来の目的とはずれるため鎮静薬の使用やそのオピオイドの使い方で本当にいいのか(疼痛コントロール目的に対して過量投与になっていないか、傾眠傾向がちょうどよく鎮静っぽくなっているからそのままにしていないかなど)は適宜評価する必要がある。
「鎮静」は治療抵抗性の苦痛に対する最後の砦として君臨している。
その効果は絶大だがその代わりに失うもの(客観的にそう見える)も多い。
だからこそ鎮静薬をうまく使用すること、評価することは非常に有用な武器になる。
何気なく使っている「鎮静」のその真の力を扱える医療者が増えますように。
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