今回の話は死の性質について。
「死ぬ」ってどういうことかなんてみんな何となくわかってると思う。
でもあらためて「死」について伝えるときにどういうものかって説明するのが難しいこともあるのでは。
と思ったので今回はこのテーマ。
緩和ケアのちょっとタメになる話Vol.16 「死の性質と子どもの理解」。
91e6abded1d1268aa285f085cb72dfc5死の性質をあらためて整理してみるとどうだろうか。
死んだら生き返れない。
そんなの当たり前。
死んだらすべてが終わる。
そんなの当たり前。
死は避けられない。
そんなの当たり前。
死には要因がある。
そんなの当たり前。
って感想をもった人もいるかもしれないけどあらためて言葉にして整理するって大切なことだと思うんだよね。
だって多くの人々はその“当たり前の死”を恐れている。
死を恐れている人は厳密には何に恐れているんだろうか。
もちろん死のすべてを恐れていることもあろう。
でも死について少し詳しく知ればその恐怖も少しは和らぐんじゃないかなと思う。
実際に自分は「死は避けようがなくすべての生物に平等である」という普遍性を理解した時から死は恐怖の対象ではなく行きつくべき終着点と考えるようになった。
まぁ理解しても怖いものは怖いって気持ちも理解できるし個人差はあるだろうけど。
それでも知らないよりは知る方がはるかに気持ちは落ち着くんじゃないかと思ってる。
そしてそれは大人も子どもも関係ない。
子どもにも死を知る権利はある。
そもそも日本の教育は「生きる」ことの大切さは積極的に教えているほうだと思う。
自殺予防なんかにもなるしね。
でも死に関する教育を受ける機会は驚くほどに少ない。
なぜか死がタブー視されがちな日本では死の本質に触れる機会が少ない。
もし子どもが死に関心を持った時。
子どもの関心と向き合い、一緒に死について考えることのできる大人はどれだけいるだろう。
もし死に関心を持った子どもが”死についての対話を避けられたり”、“ごまかして無理に話題を変えられたり”、“死に関心を持ったことを咎められたり”したら。
子どもの抱える死の恐怖感はいたずらに増幅してしまうのではないかと思う。
いつか訪れるかもしれない子どもと死に関する話をする場面に備えて。
死を性質という面から理解しておくのもいいのかなと思いました。
子どもの年齢別の死の理解については以前に簡単にまとめているので気になる人はそちらも見てもらたらと思います。
コメント