“告知”というとどのような場面が思い浮かぶだろうか。
一昔前は“本人への告知”をするかしないか。
するとしてもどこまでするのか等々とても難しい問題だった。
もちろん今でも簡単な話ではない。
だが、現在では「本人に告知する」というのが基本的なスタンスとなってきている。
この変化は、医療の発達や情報収集方法の変化、終末期患者のQOLなど様々な理由によるだろうが長くなりそうなのでここでは省かせてもらう。
今回の主題は「子どもへの告知」について。
前述したとおり、成人領域では”本人への告知”のハードルはずいぶん下がってきている。
少し古いものだが厚生労働省の調査によるデータがこちら。
図では2015年までしかないが、2016年に国立がんセンターが行った「がん登録全国集計」では告知率は94%というデータもある。
それに対して小児領域では本人への告知はそれほど進んでいない。
大規模な調査データはないが上図の調査では約6割といったところ。
小児科で働く体感としては「ほんとに6割もあるのか⁉」というのが本音だが調査上はそうなっている。
大人への告知に対して子どもへの告知は3割近く少ない。
(個人的にはもっと少ないと思っている)
これはなぜだろうか。
まず大前提として子どもの場合は未成年なので親の承諾がなければ治療そのものができない。
救命のために治療が必要で、倫理的にも問題がないのに親が治療を拒否する場合は、子どもを守るために親権を剥奪して治療に臨むことだってある。
なので告知以前に治療方針なども子ども本人ではなく家族と相談することが多いという現状がベースにある。
あまり話を広げすぎると収集がつかないので今回は“告知”に話を戻す。
親が子どもに「告知をする」と決めた場合は、その伝え方やタイミング、誰から伝えるかなどを話し合っていくことになる。
「告知する」からと言って話がスムーズに進むわけではなく、「告知する」からこそより医療チームは一致団結して患者と家族を支える必要がある。
でも「告知する」場合の多くは腹を割って話せる状況になることが多いので、本人を含めて丁寧にコミュニケーションをとりやすい傾向になると経験上は思っている。
では、親が子どもに「告知しない」と決めた場合、みなさんならどうするだろうか?
親が決めたことなので尊重するべき?
本人の権利や残された人生のためにも告知するべき?
医療者の倫理観として「告知はした方がよさそう」という思いが頭に浮かぶと思う。
だが「家族の意向を尊重するべき」という思いも同じように思い浮かぶはず。
きっとどれだけ時間をかけても悩みや迷いはなくならないと思う。
子どもに「告知しない」という選択をした場合のことをもう少し考えていく。
子どもに告知しない理由として「子どもが受け止められないから」という理由をよく聞くのではなかろうか。
治ると信じて一生懸命治療をしている子どもに真実を告げると心が折れてしまうのではないか。
という理由。
すごくもっともらしい理由で、子どもをよく知る親の言葉となれば疑う余地はない。
ただ、医療者としてはもう一つの可能性を考えてほしい。
それは「“親自身が”ショックを受けた子どもの気持ちを受け止められない」という可能性。
つまり、子ども自身の要因ではなく、親として「真実を知って心身ともに傷ついた子どもを支えられる自信がない」という“親側の要因”である。
さらに言うとその要因に無自覚な親もたくさんいる。
もちろんそれが悪いわけではない。
子どもの一大事なので冷静さを失ったり視野が狭くなったりするのは当然のこと。
なので「子どもが受け止められないから」という理由を聞いた際には、「もしかしたら親側の要因も絡んでいるのでは?」という可能性を医療者が切り捨てないようにすることが大切である。
「子どもが受け止められない」と親が考える理由を丁寧に聴き、あらためて告知をするメリットやデメリットの確認、告知による心身への影響が出た場合の対処法の検討などをひとつひとつ整理する必要がある。
ここで言う「告知による心身への影響が出た場合の対処法」という部分が“親がすべて背負い込む必要はない”ということを丁寧に伝え、医療チームみんなで支えていくための方策を検討するということになる。
長々と書いてきたけど絶対に「告知をするべきだ」という話ではないので誤解のないように。
ただ、個人的には自分の子どもがそのような状況になったら「告知する」とは思う。
それぞれの家族にも事情があるだろうし、24時間完璧なサポートを受けられる保証もない。
そんな不確かな状況の中で「告知をするべきだ」とは言えない。
だが、ひとつだけ言えるのは「告知をしない選択」をする場合はそれ相応の覚悟がいることだけは確かだということ。
少し極端な言い方をすれば「告知をしない」というのは「隠し事をする」に近い状況となる。
一生隠し通す覚悟を持たなければ、もし途中で患者が知った時に信頼関係含めていろんなものが破綻するリスクがある。
「告知をしない」ということがただ“真実を告げない”という話で収まることはほぼないだろう。
どうしても矛盾が生じてしまい、どんなに小さくても嘘をつかざるを得ないと思う。
特に終末期には患者本人が身体の変化からいろいろと察することも多い。
子どもだからと舐めてはいけない。
今の時代はスマホもあるし情報なんてすぐに手に入る。
仮に“真実を告げない”だけで全く嘘をつかなかったとしても、そのことを患者が納得できるかは別の話。
どんなに幼くてもある程度の状況判断ができる子どもなら隠されていたことに対して大きなショックを受けるだろう。
もしかしたら親が隠しているのを察してあえて知らないふりをする子どももいるかもしれない。
その状況だって子どものQOLという視点で見ると良いとは言い難いだろう。
それに対して「告知する」と少なくとも病名や病状の話に関しては隠し事をする必要はなくなる。
隠し事をしなくてもいいという状況は、後ろめたさや申し訳なさを感じる機会が減り、患者と向き合う負担がずいぶんと楽になると思う。
ただ、告知をした後に告知をなかったことにすることはできない。
その点については注意が必要。
なので「告知はするべきだ」という決めつけではなく、早い段階から患者自身に「どの程度の情報を知りたいか」を聞いておくのがよいと思う。
「病名や病状、治療経過は知りたいが余命のことは知りたくない」という人もいるだろう。
先にも述べたが“知ってしまったら知らない状況には戻れない”。
この点に重々注意して早い段階から告知の在り方を患者や家族と相談しておくのが良いと思う。
それこそがいわゆるACPだね。
子どもへの告知の在り方について個人的見解を述べた。
小児医療に携わる人たちはそれぞれの思いがあると思うのでその思いをきちんと言葉にして声を出すこと。
もしかしたら意見として少数派かもしれない。
でもそんなの関係ないよね。
患者にとっての大事な選択は多数決で決まるわけじゃない。
いろんな意見から患者にとっての最善を検討できるチームでありたいと心から思う。
最後になったが「ホープツリー」というサイトを紹介しておく。
これは「がんになった親を持つ子どもへのサポート情報サイト」とあるが子どもとがんについて話すヒントなどが記載されており、子ども自身ががんを患ったときにも参考になる。
興味がある人はぜひのぞいてみてほしい。
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