看護師の役割ってなんだろう?
看護師とはこうあるべき。
って思ってる人たくさんいると思うんだけど結局人それぞれなの?
ってことに関して個人的に思うところを少し。
先に結論を述べると看護師の役割として一番大きなところは「安全の保障」だと思っている。
“安全”って言葉を聞くとどんな場面を想像するだろうか。
この“安全”っていうのは単に事故やインシデントが起きないって話じゃない。
ここでいう“安全”は環境も含めての安全。
じゃあ“安全な環境”ってなんだろう。
子どもの愛着形成などで提唱される「安全基地」のイメージが近いかな。
「安全基地」は子どもが外の世界に踏み出していくための心の拠り所のこと。
患者の場合は外の世界に行くわけではないけど、自分の健康に限らず様々な側面で安心して過ごしてもらいたい。
ビジネス用語で言うと「心理的安全性」ってのも近いかな。
言いたいことや感じたことを素直に表現できる関係性のこと。
患者にそういう意味での“安全を保障”するのが看護師の役割だと思ってる。
看護師の役割と言えば「診療の補助」と「療養上の世話」ってのがテンプレの回答。
もちろんそれは間違いじゃないんだけどこの2つの言葉だとちょっと物足りないと思うんだよね。
定義に対して物足りないも何もないと言われるとそれまでなんだけど。
それぞれを少し深堀りしていく。
「診療の補助」について。
「診療の補助」をするだけなら知識と技術があればできる。
そして知識と技術があれば医療事故やインシデント的な意味での安全は保障されるだろう。
でも“知識と技術はあるのにイマイチ患者・家族に信頼されてない看護師”ってたまにいるよね?
(いないならそれに越したことはないし素敵な職場なんだと思う)
それってなんでだろうね。
それはたぶん“患者側の求める安全の条件”を満たしてないから。
例えばだけど“知識や技術はあるが正論ばかりの看護師”に対する印象はどうだろうか。
患者・家族がゴリゴリの理系(←偏見)で理路整然と事実ベースでケアしてほしいならこの看護師は安心できる存在だろう。
でももっと気持ちに寄り添ってほしいとか感情論での支えが欲しい患者・家族ならこの看護師は安心どころか害となる存在になる。
続いて「療養上の世話」について。
「療養上の世話」も知識や技術があればなお良いが、言ってしまえば気持ちだけでもできることは多い。
そして患者・家族のことを思いながら気遣いや配慮の行き届いたケアなら快適で安全な環境と言えるかもしれない。
でもさっきと同じく「すごく配慮してくれる優しい看護師だけど知識や技術が不十分な看護師」ならどうだろう。
たとえ知識や技術が不十分でも心地よい生活空間を構築してくれるなら満足という患者・家族もいれば、いやいや配慮が行き届いても知識や技術が無ければ不安という患者・家族もいる。
いずれも極論だからあほらしく聞こえるかもしれない。
でも患者・家族によって求める安全は違うということをイメージしてもらえたのではなかろうか。
求められる安全が違うということはそれぞれの患者・家族への介入方法は同じというわけにはいかない。
これがいわゆる“個別性”ってやつだよね。
看護学生の頃から何度も言われる“個別性”。
就職してからも本当の意味で個別性のある看護ができてる人ってどれほどいるだろう。
経験を積めば積むほど自分なりのスタイルが固まってしまって相手に合わせた看護ができなくなることもある。
途中で気づけばいいんだけど、患者・家族のニーズとずれていることに気づかなければ自分は一生懸命やってるつもりでも相手にまったく響いていないどころか嫌な思いをさせている可能性だってある。
自分は精いっぱいやってるのになかなかうまくいかないって人は自分のケアと相手のニーズをあらためて見返すとそのずれを修正できるかも。
前置きが長くなったけどあくまで“知識”や“技術”、“配慮”や“コミュニケーション能力”なんかは安全を保障するためのひとつの手段。
相手のニーズを見極めて、それを満たすということが安全を保障する上で大切だと思う。
そして相手のニーズっていうのは本当に幅広いと思うので、その幅広いニーズに対応するために知識や技術の修得、コミュニケーション能力向上などの自己研鑽を続ける必要があるということ。
文章にすると当たり前っぽいけど「診療の補助」も「療養上の世話」も突き詰めれば「安全を保障」するにつながるとなんとなくでも伝わっていれば嬉しい。
自分はこういう考え方なので看護師としてのポリシーは「すべての子どもたちの安心と安全の保障」を掲げている。
もちろん今回の内容は自分なりの看護師の役割なので「いや、自分はこう考える」ってのがあるのは大歓迎。
自分なりの考えを丁寧に育めばいいと思う。
いざ「看護師の役割って何だと思う?」って聞かれたときにスムーズに自分の考えを言えるようにしていると“看護師としての軸”がぶれずに働くことができるので自分にとっても一貫性のある看護ができるんじゃないかなと思っております。
おわり。
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