緩和ケアのちょっとタメになる話Vol.11。
今回はスピリチュアルペインについて。
全人的苦痛(トータルペイン)の考え方は現場でもずいぶん浸透してきたように思う。
身体的苦痛や精神的苦痛のみならず社会的苦痛に対しても当然のように視野を広げている人が多い。
でもスピリチュアルペインはどうだろう?
この「スピリチュアル」って言葉がどうにもうさん臭く感じるのかなかなか理解されないことがある。
正確には“理解しようという気にならない”という感情なのかもしれない。
そんな食わず嫌いさんに少しでも興味を持ってもらえたらとこのテーマを選んだ。
576d7b1e28c8a7cd7574da9ab063ab98まず言いたいのはスピリチュアルって表現について。
無理やり日本語訳すると”霊的苦痛”となり余計にうさん臭さが増す(個人的感想)。
だからスピリチュアルという言葉をそのまま残すことが多い。
ただ日本人の特徴なのかどうやってもこの表現に対する疑念は払拭しきれない人が多い。
きっと“全人的苦痛の4つの側面”という形でスマートに表現するために「スピリチュアルペイン」という言葉が選択されてると思う。
臨床ではあえてスピリチュアルペインという言葉を使わずに
「自己の存在や生きる意味の消失に伴う苦痛」
とかって表現することがある。
あとは「精神的苦痛」との違いがわかりにくい人もいるかもしれない。
その場合は「精神症状」なのか「魂の叫び」なのかといったイメージを持つとわかりやすいのかなと思う。
魂の叫び。
つまり、より自分の心の中心というか核に近い部分の感情。
価値観や死生観などを巻き込んだその人自身の個人的な感情。
その感情が傷つけられた時に生じる苦痛っていうのがスピリチュアルペイン。
できるだけ簡素に表現しようとしてるんだけどどうしてもまわりくどくなっちゃうね。
表現力が乏しくて申し訳ない。
スピリチュアルペインのイメージをなんとなくでもつかんでもらえたら嬉しい。
その上であと3つだけ覚えていってほしい。
それがスピリチュアルペインの3つの柱。
「時間存在」「関係存在」「自律存在」
細かい内容はポスターを参照してほしい。
この3つの柱に関連してそうならスピリチュアルペインが生じている。
と思ってくれていい。
最後に補足。
ここまでスピリチュアルペインはこんな苦痛だよって話をしてきた。
ただ、患者・家族の感じている苦痛がどのような苦痛なのかを分類するだけでは意味がない。
分類する最大の理由はそれをとっかかりにして苦痛軽減のための方策をみんなで考えていくことにある。
なので「これはスピリチュアルペインだ」って分類だけして満足しないこと。
あと分類はあくまでその先の苦痛緩和のための準備ということも覚えておいてほしい。
「精神的苦痛」か「スピリチュアルペイン」かなんてどっちでもいいこともある。
(精神的苦痛の場合は精神症状なので薬物療法など対処できる選択肢が増えるかもだが)
くりかえしになるが、確実な分類をすることが目的ではない。
その先にある患者・家族の苦痛緩和を目指せるようにチームで協働していければと思う。
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