vol.25【グリーフに終わりは来るのか?】喪失と悲嘆

ポスターは作ってたのになぜかボーっとしていていつの間にか12月に入っていた件。

毎月1日にというのはただのマイルールなのでしっかり破って今月は6日に投稿です。

今月の“緩和ケアのちょっとタメになる話”はこちら。

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以前、「あいまいな喪失」について掲載したけれど、もっと根本的な話をまとめてみた。

そもそも「喪失」ってなに?

「悲嘆」ってなに?

「グリーフケア」ってなに?

みたいなことをぎゅっと凝縮したつもり。

前半はちょっと調べればすぐに出てくる定義的な話。

今回の話で特に大切にしてもらいたいのは後半の部分。

「悲嘆反応とは、誰でも経験する正常な反応」ということ。

また、「グリーフは、喪失から何か月、何年たったから大丈夫というものではない」ということ。

この辺りはよく勘違いされるのでしっかり覚えておいてほしい。

例えば大切な人を亡くした場合、1年ほどである程度元気を取り戻す人もいれば、10年経っても20年経ってもつらい人もいる。

これはきわめて個別性が高い話で、母親と父親で違ったり、きょうだいによって違うのも当たり前。

とは頭ではわかっていても、10年、20年前の話を泣きながらされても困る人がいるのは事実かもしれない。

受け止め方はそれぞれの方法でかまわないのだけれど、「それがおかしい」とは思わないでもらいたい。

少し自分の話をする。

自分はこんな内容の記事を書いている程度にはグリーフについて学んできた。

緩和ケア認定看護師になってからもなる前も、多くの看取りを経験してきた。

自分の死生観は幼少期から確立されていたし、今も子どもの死と隣り合わせで働いている。

そんな自分ですら、5年以上前のある子どもの話をするときにはいまだにつらい。

目は涙でにじむし、声は途切れる。

グリーフケアを専門的に学んで、一般の人たちより明らかに人の死に耐性があるにもかかわらず。

そんな私のことをみなさんは弱いと思うだろうか。

何年経とうが、故人を思い出して涙を流すことは決して悪いことではない。

おかしなことでもない。

それは“誰もが経験する当たり前の反応”である。

もし身近な誰かが何年も前のことで涙を流したり、悲しんだりすることがあれば、そっと寄り添ってあげてほしいなと思います。

最後にひとつだけ。

感情がこみあげたり、一時的な不調ならそっと寄り添ってあげてほしいが、もし半年以上にわたり生活に明らかな支障が出ている場合は「複雑性悲嘆」となり、心療内科や精神科への受診も検討されうるので、それもまた同じく頭の片隅に覚えておいてほしいなと思います。

おわり。

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