【緩和を知る】がん看護経験1年未満で緩和ケア認定看護師を目指してみた③

そんなこんなで初期配属されたNICU。

もちろん1年目の新人なのでまずは仕事を覚えるので手一杯。

自分のやりたいことは二の次でまずは最低限の仕事ができるように。

毎日が必死だった。

1年目の仕事のスタンスはこちらを読んでもらえればと思う。

配属されて1か月が過ぎたころ、部署内での係活動というものがあることを知った。

活動の内容は様々で「新生児の環境調整」とか「業務整理」とか「退院後のフォローアップ」とか。

いろんな係がある中でとてつもなく魅力的な係があった。

それが「グリーフケア」。

何度も言ってるが自分は学生の頃から緩和ケアに興味があったのでこれ以上の係はなかった。

控室に置かれた希望記入用紙に自分の名前を書く。

1枚の用紙にみんなが記名をする方式だったのだが先輩たちがまだ誰一人記名していない中でペーペーの自分が一番に名前を書いた。

何の問題もないんだけど同期たちは“何をするか”よりも“誰とするか”を重視する人もいたので少し心配された。

先輩や同期含めてすべての人が希望を書き終わり、メンバーの確定した用紙を見る。

なぜかわからんけどグリーフケア係はあんまり人気がなかったらしい。

張り切って書かなくても全然余裕で希望は通った。

といっても1年目のペーペーに何ができるわけでもなく。

下っ端としてできることはミーティングの日程調整とか活動記録とかぐらいで“直接子どもたちにつながることをしたぜ”って感じは全くなし。

でもそれでもよかった。

何より同じ係の先輩がグリーフケアに熱い先輩でなおかつ行動力もあったので下っ端ムーブしてるだけでも“仕事をしてる気になれた”というのもある。

まずは自分にできることをしながら先輩の姿から学ぶ。

1年目はそれでいい。

経験はもちろん知識すらない自分はまず見て学ぶこと。

必死で背中を追うこと。

食らいつくこと。

そんな気持ちで仕事はもちろん係活動にも取り組んだ。

自分で選んだ係活動だったのもあり楽しかったしね。

1年目に下っ端として取り組んだメインの活動は「デスカンファレンスの開催」。

デスカンファレンスって苦手だったり嫌いだったりな人が多い。

でも一生懸命生きた子どもたちやそれを支えた家族や医療者について振り返る時間、思い出を語り合う時間というのはとても大切な時間。

今までもデスカンファレンスが開催されてはいたみたいだけどそれが定着できるように。

患児が亡くなった後のカンファレンス開催までの流れなどそういうのを整理し、運営手順を作成した。

そしてもちろん実際のデスカンファレンスも基本的にはすべてに出席して会場準備や資料準備などを行う。

NICUにおける終末期の子どもは超重症児が多いので自分を含めて同期や若手が受け持つことはほとんどなかった。

なので受け持ったことのない患者のデスカンファレンスであることが多かったんだけど先輩方の思いを聞ける貴重な時間だった。

普段の看護をしている姿と重なる思いもあればデスカンファレンスの場だからこそ吐露される思いもあり。

うちのNICUでは年間に約10名前後の子が亡くなる。

平均して1.2か月に1回ペースでデスカンファレンスに参加する(もちろん等間隔ではなくひと月に数人とかもある)というのは自分が精神的につらくなることもあったがそれでもたくさんの子が頑張った経過をあらためて知り、医師や先輩方の思いを知り、時には自分の思いも吐露しながらとても貴重な時間を持てていたと思う。

1年目からグリーフケア係として活動できたおかげでNICUで亡くなっていく子どもたちのことを思う時間がほかの同期たちより少し多く持てたと思う。

この頃にはすでに「緩和ケアってがんに限らないよな」って思いはすでに芽生え始めている。

自分の中の先入観にひびを入れることができた1年目。

つづく。

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