5年目の目標はわりと王道。
「新人教育とNICUのまとめ」。
新人教育というのはいわゆるプリセプターのこと。
うちの部署では4.5年目でなることが多く、自分の年代も例外なく4.5年目でプリセプターとなった。
この年は5年目となるので2回目のプリセプターとなる。
なぜプリセプター1回目ではなく2回目にこの「新人教育」の目標を挙げたのか。
それはプリセプター1回目の時はまだ自分のことで精いっぱいでとても教育なんて口にできる立場になかったから。
それでも新人は自分を頼ってくるので自分も先輩たちを頼りつつフォローしてもらいつつなんとか役割を終えることができたかなといったところ。
なので2回目はもっと自主的に新人教育に取り組もうと思ってこの目標を挙げた。
前の年は新人教育をまとめる役職者に言われるがまま計画通りに動いただけ。
でもこの年は役職者と丁寧に意見交換しながら自分なりの教育、やりたいことを伝えた。
もちろん効率の悪いことや誤った方法などもたくさんあっていろいろ指導を受けたけどその指導をモノにしていくことこそが今年の目標だったのでかなりアクティブに活動できたかなと思っている。
くわえてもう一つの目標が「NICUのまとめ」。
もう一つのと言いつつむしろこっちが本題。
自分はもともと3年でNICUから小児科に異動すると決めていた。
そのつもりで1年目から準備してたし師長や看護部長とも相談をしていた。
ただやはりそう簡単にいかないのが組織のつらいところ。
4年目はプリセプターを経験してから異動したほうがいいと勧められ残留。
5年目はリーダー業務を経験してから異動したほうがいいと残留。
もちろん6年目もいろいろと理由をつけて残留の方向で話を進められていた。
でも自分の中ではどれだけ長くても5年と決めていた。
NICU看護は正直めちゃくちゃ楽しかったしそのまま働き続けることが嫌だったわけじゃない。
ただ自分がもともとやりたかったことにチャレンジせずに違う道を進むというのが嫌だった。
なので個人的には小児科に異動して「なんか合わない」と思ったらまた戻ってこれる場所。
そんなつもりでNICUから旅立とうとしていた。
早くから(それこそ1年目から)異動の意思は示して承諾してもらっていた(と自分では思っている)のにアレコレ理由をつけて先延ばしにされるのは正直かなりがっかりだった。
なのでこの年に「異動が叶わなければ退職します」と退職の意向も伝えていた。
それでも一向に異動の話はまとまらなかったので自分はこの年で退職するつもりで次の職を探していた。
せっかく保育士免許取ったし保育士やってみようかな。
いっそのこと教育学部に入りなおして小学校の教員免許取ろうかな。
とか退職することで看護から少し離れて“子ども”中心の生き方へシフトしようかなと真剣に考えていた。
それからまた小児がんの世界に足を踏み入れても遅くないかなと。
そんな3月末。
しれっと自分の名前入りで4月のシフトが出そうだったので師長のもとへ。
「ぼくの意思は異動か退職です。シフト出されても出勤はできません。」
今思うと何とも強気な態度だったけど半分辞めるつもりだったし大目に見てほしい。
何度も伝えていたことだったがこの時に自分の本気度が伝わったのか無理やり異動の調整をしてくれて(3末なので人事はすでに終わっていたっぽい)次の年から小児がん病棟へ異動となった。
そして自分の緩和ケア認定看護師への本格的な動きが始まっていくこととなる。
新人から丸5年を過ごしたNICU。
やりたいこと一直線で認定看護師含めて自分のやりたいことを目指すのはもちろんいいと思う。
でも自分の場合はこの5年があったから緩和ケアの解釈を広げられたしがんに限らずすべての子どもに緩和ケアを届けたいと思うようになった。
少し遠回りしたように感じることもあったけど結果的には本当に充実した5年を過ごせたなという気持ちが大きい。
何事もやってみなけりゃわからない。
そんな当たり前のことをひしひしと感じた5年間だった。
ということで5年目の振り返りでした。
つづく。
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