そんなこんなで参加することになった難病キャンプ。
詳細は省くが関西初開催ということで規模は小さいながらも大盛況のうちに幕を閉じた。
来年以降も毎年開催されることになり、今もなおこのキャンプに関わらせてもらっているのはまた別のお話。
難病キャンプの中でどうしても外せない話がある。
それが前回の話で触れた研修でお世話になった医師との再会である。
あらためて医療業界の狭さを感じることになるのだが、その医師も有名な先生のため、NICU部長、他科の診療部長はみな顔見知りだったよう。
そして心臓がぶっ飛びそうになったのだがその3人と自分が同室の4人部屋だったのだ。
この部屋割りはやばい。
一睡もできないんじゃないか。
荷物を整理して一段落する頃からキャンプに参加している医療者が次々と先生方へ挨拶にやってくる。
それを傍で見ながら「なぜ自分を同室にしたのか」と運営を恨んだものだ。
だがその気持ちが恨みから感謝に変わるのはその夜のこと。
懇親会も終えてそれぞれが部屋に帰った後の時間。
先生方はまだ話したりないようでテーブルを囲んでいる。
まだ緊張の渦から抜け出せていない自分はどうすべきか戸惑っていた。
しかし高名な先生方の邪魔はすまいと息をひそめて寝る準備をしていると
「もう寝る?こっち来ない?」
とお誘いいただいた。
もちろん断るなんて選択肢は持っていなかったので輪の中に入れてもらう。
そして歓談の時間がはじまった。
この時間を共有できた時の気持ちは文章では書きあらわすことは難しい。
うまく伝えることができないのが残念でならない。
ただひとつ言えることは、それぞれが各分野でトップと言える地位に上り詰めてなお野望を持っていたということ。
その姿が医療業界に足を踏み入れて3年足らずの自分にどれだけ輝いて見えたかは言うまでもない。
話す内容はとても大きな話で若造である自分にとっては夢物語、ただの理想論のようにも聞こえる。
しかしそれを本気で実現させるためにその道を究めた大人たちが顔を合わせてあーだこうだと話し合っている。
小難しい話なんて一切なく、夢のような話だからこそ、逆に自分もその理想を語り、話の輪に入れてもらえた。
奇跡のような時間だった。
「すべての子どもが安心して暮らせる世界に」
この時、先生方に誓った言葉は今も胸の中にある。
あっという間に時間が過ぎ、翌日の夜も期待したのだがさすがにお疲れだったようで翌日はみんなすぐに眠ってしまった。
そして2泊3日の難病キャンプは幕を閉じた。
そして3年目もつつがなく過ぎ、異動宣言をしていた4年目に入るのだが。
つづく。
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