⑥からずいぶん期間があいてしまった。
身バレを考慮してこの先は書きにくいなと思っていたのだが、もう気にする必要はなくなったので細々と続きを書こうかなと。
①から読みたい人はカテゴリ「短期連載シリーズ」から飛んでもらえれば。
ということでここからが本文。
前回触れた研修の中での出会いについて。
グリーフ関連の研修というのは当時は本当に少なかった。
日帰りで行ける範囲ともなるとなおさら。
講師の方が重複することも多かったが、自分としては好んで聞きに行っていた。
さらにいうと少人数制の研修も多く、大部屋で一方通行の受講よりも講師を含めて双方向性の研修が多かった。
何度か同じ講師の研修に通ううちに光栄なことに名前を憶えてもらえた。
さらに光栄なことに研修中に名指しで意見を求められることもあった。
ある研修の後に「この後時間ある?喫茶でも行かんかな」とお誘いを受けた。
ほかの参加者が講師にわらわらと集まる中で自分を誘ってくれた。
こんなありがたい話はない。
もちろんお誘いを受けてしばし歓談の時間をいただいた。
世間的にはおじいちゃんと言える年代の医師だったが、心の中はとても若々しく自分のような若輩者にも何のフィルターもなくいろいろな話をしてくれた。
若者だからと侮ることなく、逆に変に持ち上げることもなく、こんなにもフラットに(少なくともこちらがそう受け取るほどに)話せる人はそうはいない。
心から尊敬できる人である。
縁というのはつながっていくもの。
3年目に入るころ、他科の診療部長から声がかかった。
“他科の診療部長”である。
何の変哲もないただの3年目看護師を呼び出す理由。
そんなものに心当たりは全くない。
とても頭はキレるが無口で有名な診療部長。
どきどきしながらその部長のもとを訪れる。
そこで言われた言葉。
「キャンプに興味ないかな?」
・・・。
思わず言葉を失う自分に部長は続ける。
「全国で難病キャンプをしてる団体が関西でも開催を企画している。その責任者になった。噂で聞いたが君なら一緒に協力してくれるのではないかと思ってね。」
とのこと。
言いたいことは分かったが“噂”ってなんだ?
いろいろと頭の中に「?」が浮かんだが相手はなにせ“他科の診療部長”だ。
緊張しっぱなしで「ぜひ行かせてください」と返答するのが精いっぱいだった。
そして噂通り無口な部長はそれ以上の説明をすることはなかった。
数日後、今度はNICUの診療部長から声がかかる。
「キャンプ一緒に行ってくれるんだってね。よろしくね。」と。
少しずつ話はつながってくる。
そしてさらに時がたち、具体的な準備段階に入る。
自分が任されたのはキャンプに持っていく医療用品の準備。
といってもリストアップされた物品をただ準備するだけの簡単なお仕事。
それに加えてキャンプ期間中の医療班としての参加だった。
滞りなく準備を進めていよいよ2泊3日の難病キャンプがはじまる。
つづく。
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