デスカンファレンスの運営に携わって“子どもが亡くなる”ということをより身近に感じることができた1年目。
実はこの1年目にもう一つ印象的な出来事があった。
入職して数か月。
まだ夏になる前だったように思う。
病棟に一人の来訪者。
インターホンが鳴った時に誰が対応するかというのは決まっておらずたまたま手の空いていた自分が対応。
名前を伺ったが入院中の子の親ではない。
病棟間違いか?
そんな気持ちで来訪者のもとへ。
入院中の子の親ではない。
だけどどこかで見たことがある気がする。
そんな思いで母の言葉を待つ。
「少し前にお世話になりました。ご挨拶にと伺いました。」
その言葉だけではまだピンとこない。
お名前を伺ってハッとした。
頭の中ですべてがつながる。
インターンに来た時にお話しさせてもらったお母さんだった。
(がん看護経験1年未満で緩和ケア認定看護師を目指してみた②の話)
名前を聞くまで気づかなかったことはめちゃくちゃ失礼ではあったけどなんせ看護師どころか国試すら受けていない半年以上も前のこと。
すぐに気づけなかったことを謝罪しつつインターンの日のことを母へ伝える。
自分が今このNICUという場で看護師として働いているのはお母さんと○○ちゃんがいたから。
○○ちゃんと過ごした1日は自分の中でとても大きな意味のある日になった。
○○ちゃんにお礼を伝えておいてください。
そんなようなことを伝えた記憶。
母は微笑みながら
「無事に看護師さんになられたんですね。4月にまた会えたらと思ってましたが思ったより早くにいってしまいました。○○のこと覚えてくださっていてありがとうございます。○○もきっと喜んでると思います。」
少し思い出話をしつつも勤務中なのでほどほどに切り上げる。
というよりインターンでたった1日関わった自分なんかよりもっと話したい看護師がいるはず。
そう思って別の看護師を呼びに行こうとしたところ母に止められた。
「みなさんお忙しいと思うので大丈夫です。それに久しぶりに○○の話ができたし○○が誰かの人生に関わってると思うと嬉しくなりました。今日はこの気持ちのまま帰ります。」
と帰ってしまった。
どうすればいいかわからず師長へ報告。
スタッフにも伝わり、母の様子を知って安心した様子だった。
お話しできた自分をうらやましがる声とともに母へのグリーフケアにもなったかもねという声も。
グリーフケア。
当時はまだピンときていなかったけれどこの経験は確実に自分をグリーフケアに引き込んだ。
偶然が生んだ奇跡の再開。
なんていうとおおげさだけど自分の中では人生の分岐点といっても過言でないほどの影響を受けているのであながち間違ってない。
この出会い(再開)とデスカンファレンスの運営。
1年目は自分のやりたいことというよりは少しでも緩和に関わる活動に絡んで学ぼうとした1年だった。
つづく。
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