予定から2年ほど遅れることにはなったが6年目にして念願の小児がん病棟へ。
入職時に希望した部署。
大きく、しかし意味のある遠回りをしてたどり着いた場所。
ついにその場所にたどり着いた。
端的な感想は「めちゃくちゃ楽しい」だ。
まず話せる。
言葉を交わすということがこれほど楽しいとは。
新生児看護ばかりしていた自分にとって言葉でコミュニケーションがとれるということの意味を大きく再認識した。
いい意味でもつらい意味でも。
いい意味というのは文字通り特に言うこともない。
5年目で異動したこともあって一応中堅者として扱われた。
なので仕事の合間に子どものもとを訪れては一緒に遊ぶという時間が作れた。
厳密には仕事に支障が無ければ周りが見逃してくれていたという感じ。
忙しくて相手ができないときは仕事終わりに「ちょっとだけね」とか言いつつ1時間近く居座ることもしょっちゅうだった。
子どもは看護する対象であったがそれだけの関係で終わらせたくなかった。
つらく苦しいこの入院期間を少しでも楽しいものに。
そしてその子にとってこの入院経験が今後の人生にとって意味あるものとなるように。
そんな願いを込めながら。
少しでも多くの子どもと関われるように担当外のナースコールも積極的に出た。
ナースコールは担当外の子に会いに行くのにちょうどいい言い訳につかえたから。
まぁそんな理由が無くても「ちょっと顔見に来ただけ」とか言いつつみんなに会いに行ってたけども。
本当に毎日が楽しかった。
充実していた。
毎日が仕事だとは思えぬほどに。
今思えばちょっと子ども側に入れ込みすぎていたかもしれない。
医療者としての距離感は保っていたつもりだったけどもしかしたら…
なんて思うこともあるけどそれが当時の自分の一番の看護だと信じていたからまぁいいか。
つらい意味というのも文字通り。
子どもとの関係性が深くなればなるほどにその子の苦しむ姿を見るのはつらくなる。
なんとか苦痛緩和ができないかとあれこれやった。
でも苦痛緩和には及ばないことも多い。
悔しいよね。
子どもがつらいときにそばにいてあげることしかできないということが。
今まで目指していたものがつながる先が見えた気がした。
この子たちの苦痛を少しでも緩和するために。
あらためて緩和ケア認定看護師という道を強く目指すことになる。
そして異動したてのこの年の終わり。
自分の予想よりずいぶん早く上司から認定看護師教育課程への打診があった。
もともと目指していたものを目の前に提示されて食いつかないわけはない。
その打診を受けてすぐに認定看護師教育課程に申込み、試験を合格。
翌年の下半期から緩和ケア認定看護師教育課程のため半年ほど病院を離れることが決まったのであった。
つづく。
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