大切な人が亡くなった。
そんな経験をした人はこの世界にはたくさんいる。
その故人が遺される人へ向けて何らかの贈り物を準備しておくことがある。
よく感動的な話として伝えられるのは
親(故人)から子(遺族)への誕生日プレゼントやビデオレター。
20歳までの毎年の贈り物やメッセージを考えてあらかじめ残し誰かに託しておくというもの。
この取り組みは故人にとって人生の心残りを少しでも減らし自分の気持ちを現世に託せるという意味ではとてもいいことだと思う。
遺された者にとっても時期が来るたびに故人から何らかの贈り物が届くと嬉しいと感じる人がほとんどだと思う。
でもだからといってどんどん推奨されるべきものかというとそこは少し立ち止まって考えてほしい側面もある。
医療者としてひとつ知っておいてほしい。
その故人からの贈り物は遺された者にとってある意味で人生の呪縛になってしまうということを。
先ほどの例をもとに話を進める。
ある家族で母親が病気になりもう長くないと診断された。
そこで母親はまだ幼い子どものために誕生日プレゼントとビデオレターを準備。
配偶者もしくは信頼できる友人に20歳までの誕生日分の贈り物を託すことにした。
こういう話は“託す時点”では特別問題がないことがほとんどだと思う。
家族にとっても医療者にとっても故人の考えを尊重しやりたいことを支え亡くなった後にも故人の思いをつないでいける。
素晴らしいと思うよね。
問題となりうるのはその先の話。
例えば遺された父親が再婚を考えたら。
子どもの年齢によるが20歳まで毎年故人からの贈り物が届く。
つまり1年に1度は故人と関わりを持つ機会がうまれる。
もちろんそれはそれとして父親が別の方と新たな人生を歩み始めるのは可能かもしれない。
でもその贈り物があるがために故人を裏切った気持ちになったり子どもが20歳になるまでは次に進めないという感情が芽生える可能性は十分に考慮しておかなければならない。
子どもにしても同じ。
子どもが小さすぎて母親のことをほとんど覚えていない場合。
よく覚えていない母親からの贈り物。
はじめは嬉しいかもしれない。
でも子どもとしてはほとんど記憶にない人からの毎年の贈り物。
人によっては少し精神的負担を感じる場合もある。
それにもし新しい母親がいる場合は子どもの感情として混乱することもあるだろう。
たとえ話として簡単に書いてみたけど想像できただろうか。
「自分なら嬉しい」
という感情はとても理解できる。
でも最長で20年。
愛する人が亡くなった後、20年間も個人から一方的な贈り物が届く。
(少し乱暴な言い方だけど)
その意味というのを医療者としては知っておいてほしい。
すべてを美談ですませてほしくない。
遺された人生を故人と向き合い続けるのは医療者ではなく遺族なのだから。
くりかえしになるがこのような状況にもなり得るということを医療者に“知っておいてほしい”。
あくまで知っておいてほしいだけで「それは呪縛になるからやめましょう」って意味ではない。
「贈り物いいじゃないですか。やりましょう。」
「絶対みんな喜びますよ。嬉しいですよ。」
と手放しで賛同するのではなく一緒に考える時間を持つこともひとつの選択肢として持っていてほしい。
故人と配偶者や子どもとの関係を丁寧につかみ故人の思いに寄り添うにはその方法で適切かということを。
病院にいると遺された家族の生活というのはかなり見えづらくなってしまう。
もちろん時々お便りをくれたり会いに来てくれたり知る機会はあるのだけれどそれって長い人生のほんの一瞬でしかない。
医療者としては入院患者である故人に焦点を当てがちだけど
遺される家族の側の遺された人生にもきちんと焦点を当て思いを馳せながら関わってほしい。
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